高校生モトクロスライダー 田村龍聖選手が和歌山地域情報紙「らくり」で紹介されました。


高校生モトクロスライダー 田村龍聖 高校生モトクロスライダー 田村龍聖 記事

「デカール屋」がデザイン・制作させていただきましたモトクロスNA 田村龍聖選手が和歌山地域生活情報紙「らくり」で紹介されました。

【記事より抜粋】

田村龍聖 「目指すは国際A級入り」

モトクロス(略称MX)は、「モトクロッサー」と呼ばれる専用オートバイでアップダウンのある未舗装コースを周回し、その順位を争う競技だ。

飛んだり跳ねたりといった三次元的アクションが多く、危険もつきまとう。

そんな激しい競技に当時5歳で身を投じた「田村龍聖(たむらりゅうせい)」は、今では国内A級で活躍する実力派ライダーの一人となった。

そんな彼の活躍を支える家族の絆とは。

 

 

MXに魅せられた息子たち

負けから始まった挑戦

 

 

モトクロスのMFJ国内A級(NA)の近畿選手権(全7戦)で現在ポイントランキングトップの和歌山北高1年生、田村龍聖(ハスクバーナ奈良所属)が、8月28日に世羅グリーンパーク弘楽園(広島県)で行われるMFJモトクロス全国大会に初参戦する。優勝すれば晴れて国際クラス入りとなるトップライダーの登竜門と言える大会だ。かねてから世界を見据えてきた田村は「表彰台の一番高いところを狙っていきます」と意気込む。

そんな田村がオートバイに魅せられたのは幼少期の5歳。父・知久(ともひさ)さんが子供たちをポケバイ(ミニチュアサイズのオートバイ)で遊ばせてやろうかと思い立った際、とある知人からモトクロスの話を聞き知り、それをきっかけに2歳上の兄・海斗と一緒に乗り始めた。その2ヶ月後にはレースに初参戦したが兄弟とも惨敗。この時、兄弟が流した悔し涙に知久さんが心打たれ、オートバイの整備技術を学ぶなどしてメカニックを買って出て親子での挑戦がスタートした。

そもそも街中で見かけるオフロードタイプのオートバイと、モロクッサーは似て非なる別物で、基本的にモトクロッサーには公道走行に必要な保安部品(ライトやウィンカー等)がついていない。その代わりに激しいコースに対応できる高い耐久性が備わっている。もし通常のオフロードタイプで走ったとしたら、数周ででガタがきてしまう。

それだけ過酷なレースなのだ。駆ける息子、整備する父。二人が挑戦したのは生ぬるい世界ではなかった。

 

試練を乗り越えた先に

ついてきた結果

 

 

小学生時代には近畿優勝、全国2位など好成績を収めた田村だったが、中学生になると成績不信が続いた上、練習中の事故で全治6ヶ月の大けがを負うなど試練が続いた。それでも「事故後の乗り始めは怖かった。でも走れる楽しさの方が強かったので恐怖心はすぐになくなった」とレースに復帰。その際オートバイをフルタイプの250ccに乗り換えたことで「自分の体にあっていて乗りやすい」と成績も上がりだし、昨年の国内B級近畿選手権では総合2位に輝き、今季から国内A級に昇格。現在全7戦中3戦を終え、1度の優勝と2度の準優勝で総合トップに立っている。

知久さんは「正直ここまでやるとは思ってなかった。ケガをした時にやめると思っていたけれど、逆に余計にやりたいと言った。芯の強い子になってきた」と我が子の成長に目を細める。

 

夢への大きなステップ

国際A級へのチャンス到来

 

 

「プロで走りたい」という夢を王田村にとって現在の目標はトップライダーとして認められる「国際A級(IA)入り」。そのチャンスがめぐってきた今回の全国大会。もし優勝すれば2クラス特進となり、国際B級を飛び越え、一気に国際A級入りとなる。だが、もちろんそう簡単にことが運ぶことはない。関東や中部といったモトクロスが盛んなエリアの上位選手も集う大舞台だけに熾烈なレースが予想される。

田村は「年上の速い選手もいるし、俺と同じ世代の子もいる。そのレベルを知る良い機会」と話し、自身の走りが全国で通用するか見極めたいという思いもあるが、「ただ、いけるところは全力でいく。今はスタート練習に重点を置いている。全国ではスタートで先頭に飛び出して、そのまま逃げ切りたい。自分が良いと思えるレースができれば結果はついてくるはず。出るからには表彰台の一番高いところを狙う」と意気込む。

 

後押しする家族の絆

結果でそれに応えたい

 

 

県内にモトクロスの練習場がないため他府県の選手に比べて練習量が足りないというハンディもあるが、大阪や奈良へ遠征練習に通う週末までのあいだは体づくりをしようとジム通いも始めた。智久さんは「龍聖の長所はよく分からんですが、ただ日々努力している、それだけは言えます」と息子のひたむきな姿勢を称え「諦めず自分の目標に向かって突き進んでほしい。今はIA入りが目標でしょうから。そこまでは親の使命として一緒に戦っていこうと思っています。それ以上になるとさすがに僕レベルじゃ手出しできませんから」と笑う。

すでにオートバイを降りた兄は時間が許せばメカニックとしてレースをサポート。母も試合があれば毎回ビデオ片手に応援に駆けつける。そして田村がオートバイを始めた歳と同じ5歳になったばかりの弟の優空(ゆうだい)くんも、兄に憧れオートバイを始めている。家族一丸となって田村を後押しする。

「家族には感謝している。それに自分はオートバイも触れませんから。自分ができることはレースで勝つこと。それが一番の恩返しだと思っています」。

まだまだあどけなさが残る15歳の顔つきが一瞬鋭く引き締まった。

 

わかやま地域みっちゃく生活情報紙「らくり」 7月号 vol.45 2016年6月20日発行
発行/(株)和歌山毎日広告社

 

 

ハスクバーナ奈良
http://www1.kcn.ne.jp/~hirappy/


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